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「彷徨う人」
朱夏

第七十二夜

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 フレデリック――。
 ジュリアンに初めて名前を呼ばれた。
 深い蒼の瞳も、長い黒髪も変わりない。危ういほどの美貌もそのままだった。いや。より成熟している。あのころ僅かにあった少年の残り香は完全に消え失せていた。全身を鎧う棘は抜け落ち、刃物のような鋭さもなくなっていた。代わりに愁いを身につけたらしい。艶も増した。そうさせたのは恐らくあの青年だ。
 ――アルフレッド・バージェスです
 名乗る声は硬く、警戒している様子がありありと伝わってきた。
 端正な若者である。フレデリックと遜色ない長身で、所作にも気品がある。甘く優しい顔立ちに精悍が混じり、盛装も嫌味がない。
ただ、フレデリックに向けられる青年の視線は鋭く、少々の敵意すら感じられた。この青年はジュリアンの恋人なのだ。それが瞬時に分かる。青年の顔を見たとたんジュリアンが安堵の表情を浮かべたことからも、二人の関係は容易に想像できた。
「フレデリック」
 女に名を呼ばれ、フレデリックは我に返った。
「上の空ねえ。誰のこと考えてるの?」
「すべての女のことさ」
 感傷を振り払い、フレデリックは女を組み伏せた。豊満な身体を捩りながら女が笑い声を立てる。
 夫とともに過ごすはずの寝室に男を入れるとは、大胆な女だ。聞けば、夫は夫で好みの相手を見つけ、部屋に上がりこんでいるから問題ないとのことである。
 一夜限りの関係は気楽でいい。後腐れのない女も好きだ。しかし、今はどうも気分が乗らない。強引に自身を奮い立たせている。
「もしかしたらさっきのあの坊やかしら」
「……何のことだよ」
「ほら、図星でしょ。綺麗な子だものね。驚いたわ。人間じゃないみたい」
 女の勘はなぜこうも鋭いのか。まるで心の中をすべて読まれているようで、フレデリックは恐ろしくなった。
 貴女をいま抱いている男も人間じゃないぜ。真実を言っても冗談として受け流されるだろうが。
 フレデリックにとって、閨は渇きを癒す場でもある。絶頂のさなかで首筋に噛みついても、気づく女はほとんどいない。気づいたとしても行為の一つとして受け入れられる。ごく微量の血液を啜ったところで一族に加わるわけではないし、痕も残らない。快楽と飢えを同時に満たせるので、フレデリックには好都合なのだ。
 フレデリックの下で、女が歓喜の声を上げている。律動に合わせて豊かな乳房が揺れた。いい女だ。身体も反応も、慣れた様も。面倒がない。
 ねっとり温かい襞に包まれ、フレデリックの中心は逐情を迎えようとしている。女の極まった声を聞きながら、フレデリックは女の首筋に牙を立てた。



「いつまでこの城にいるの?」
 身支度を始めたフレデリックに、女が声をかける。
 いつもならもう少し褥で過ごすところだが、今夜はそういう心境ではなかった。しかし女は、心ここにあらずのフレデリックを咎める様子もない。
「特に決めてない。飽きるまでかな」
「そう。あたくしは明日帰るの」
 ダーラム夫人とはほとんどお話もできなかったわねと言いながら女は髪を掻き上げた。首筋に小さな、虫刺されのような痕が見えるが、女は気づいていないようだ。
 フレデリックがダーラム侯爵に招かれたというのは嘘である。気がかりなことがあって、城に潜り込んだのだ。そもそも、爵位のあるなしに関わらず、フレデリックが人間の世界で知られているはずもない。招待状などいくらでも捏造できるのだ。
 フレデリックが英国に戻って半年ほど経つ。その直後から奇妙な噂が届くようになった。どこで拾って来るのか、下僕のビルはそういう話を良く知っている。
 調査しようとは思っていない。単純に興味があった。何が起きているか知りたいだけだ。
「ねえ。あの美形を落とせたら知らせてよ」
「そんなんじゃないって言っただろ。貴女の勘違いだよ」
 寝台の端に腰掛けたフレデリックに、女の腕が背後から絡みつく。媚態ではない。食虫花が獲物を捕らえる様に似ている。
「嘘が下手ね。あたくしを抱きながら、あの子のこと考えていたんでしょう」
 内心の動揺を見抜かれてしまっただろうか。女の腕をそっと解き、フレデリックは立ち上がった。
「俺は誠実な男だぜ? 腕の中にいる女のことをいつも考えてるさ」
「そういうことにしておくわね。達くときに、あなたの眼があたくしをまるっきり映していなかったことも忘れてあげるわ」
 揶揄を躱す余裕が今のフレデリックにはない。
 糞。苛立ち混じりで小さく呟いた。

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