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「彷徨う人」
朱夏

第七十夜

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 そろそろ部屋に戻りたかった。正装して立っているだけでも消耗するものだ。昨夜はあまり眠っていない。自分の意思でそうなったとはいえ、肉体の疲労には勝てない。何より、白粉と香水の匂い、室内の熱気に耐えられなくなってきた。
 宴がお開きになった後は、別室に軽食とお茶が提供される。アルフレッドは恐らくその前に引き上げて来るだろう。どうしたものかと思案し、無意識に視線を彷徨わせた先にアルフレッドの姿があった。偶然か、それとも想いが届いたのか。彼もまたジュリアンを見ていた。眼が合った瞬間、アルフレッドが微笑む。
 この男の心は自分のものだ。ジュリアンは確信した。慢心でも驕りでも構わない。誰よりも愛しい男と通じ合っている。辺りに吹聴して回りたいほど幸福だった。


「楽しんでいますか」
 すっかり自分の世界に入り込んでいたところへ不意打ちで声をかけられた。邪魔するな。喉元まで出かけた言葉をジュリアンは何とか飲み込んだ。
「ええ、おかげさまで」
 短い返答に小さな棘を潜ませたつもりだが、恐らくこの男には伝わっていないだろう。
 宴が開始された直後は妻と一緒だったはずだが、今は一人だ。そのことを問う気にもならず、ジュリアンは露骨に不愉快な表情を作った。しかし彼の侯爵様も諦めない。あるいはやはり気づいていないのかもしれなかった。
「出来ることならば貴方の手を取って踊りたいのです」
「ご冗談を。美しい女性がこんなにいるのに何を仰っているのですか。奥様もいらっしゃるはずだ。城の主として皆の眼を楽しませてやったらいかがです」
「妻は気分が悪いと訴えたので部屋に帰しました。もともと病弱な身ですから、こういった賑やかな場は合わないのです」
「それならば、奥様の枕元で労わりの言葉をかけてやればいい。私も部屋に戻らせていただきます」
 まだ何か言いたげなダーラムを冷たくあしらい、ジュリアンは背を向けた。
「私は諦めません。あなたを手に入れるまで」
 傲慢な男の傲慢な宣言は届くことなく周囲のざわめきに掻き消された。


 ジュリアンは会場を抜け出して隣室に入った。宴に疲れた人々が、暫しの休憩を取る間だ。佳境の頃ならば踊り疲れた淑女たちが何人か座っているものだが、夜会も終盤とあって誰もいなかった。
 いや、一人だけいた。初老の紳士が一人、片隅の長椅子に腰掛けている。どうやら居眠りしているらしい。俯いた顔が、かくんかくんと揺れている。その男と最も離れた入り口近くの長椅子に腰を下ろし、ジュリアンは小さくため息を吐き出した。
 やっと一休みできる。そう思ったのは勘違いだったらしい。他には誰もいないと思っていたが、まだ先客がいた。背後に引かれた緞帳の中から話し声が聞こえて来る。男と女が一人ずつ。耳を澄ませているわけではないのに大方の内容が聞き取れる。睦言だ。当人たちは声を潜めているつもりなのだろう。だが、静まり返った室内では何もかも筒抜けになってしまう。ジュリアンは再びため息を吐いて立ち上がった。ここに居るのは苦痛だ。部屋でアルフレッドの帰りを待とう。
「君」
 部屋を出ようとしたジュリアンを聞き覚えの無い声が呼び止めた。振り向けば、先ほどまで居眠りしていた男が立っている。白髪の混じった髪を丁寧に撫で付けた、知的な風貌の紳士だ。
「ジュリアン君ではないかね。ジュリアン・レドモン君」
「仰る通り私はレドモンですが、貴方は……?」
 男の人相にまったく覚えが無い。そもそも、知人友人の類は少ないどころかまったくいないのだ。困惑と不審で暫し男の顔を見ていたら、彼はひどく嬉しそうな顔になった。
「やはりそうだったか。ああ、変わっていないねえ。大きくなった、と言うのは少し失礼かな。ずいぶん背が伸びたんだね」
「あの……」
 口振りからして、どうやらジュリアンの子供時代を知っている人物らしい。しかし心当たりはまるで無かった。
「華奢な身体つきは同じだね。あの頃より僕はだいぶ老けてしまったから分からないのも無理はない。家庭教師だ、と言えば思い出してくれるかな。それにしても……君はさらに美しくなって……」
 男の手がジュリアンの髪を撫で、頬に軽く触れてから肩、薄い胸と辿って行く。あまりの唐突な出来事に、ジュリアンはされるがままになっていた。
 この手の感触。閃光のように嫌な記憶が甦る。封印していた幾つかの記憶のうちの一つが。為す術もなく震えていた少年の自分。素足を撫で回す、ごつごつとした掌。
 思い出した。片眼鏡モノクルのこの男は、レドモン家にやって来た三番目の家庭教師だ。少年だったジュリアンに劣情を抱き、寝台の中まで入り込んだ男。未遂だったものの、身体中を撫で回された不快な感触はいつまで経っても忘れる事が出来なかった。
 “こいつが誘ったんだ。何も知らん処女おぼこみたいな顔をして、実際は淫乱な餓鬼だよ”
 その時の男の顔と台詞が鮮明に甦り、ジュリアンの視界は真っ暗になった。身体中の血液が下がっていく感覚と目眩。足元がぐらりと揺れる。
「おっと、危ない」
 蒼白な顔でふらついたところを片眼鏡の男が慌てて支える。良く知っている手と明らかに違う感触に、ジュリアンは身震いした。
「触るな!」
 男を払い除け、ジュリアンはその場へ崩れ落ちた。慌てた様子の男が痩せた肩を背後から抱き寄せる。
「気分が悪いのかな。顔が青いよ」
 再び払おうとするも、後から抱えられていては身動きが出来ない。男の片手がジュリアンの黒髪を掬い、項を撫でた。
「色の白さもあの頃と同じだね」
 耳元で囁かれ、肌が粟立った。震えが止まらない。違う。この手じゃない。触っていいのは、触れて欲しいのはたった一人だ。
 払い除けることすら出来ない自分が情けなくもどかしい。手は未だ首筋を撫でている。

「おい、おっさん。いい加減にしろよ」

 唐突に別の声が割って入り、自失しかけていたジュリアンの意識が戻った。振り返れば、よろよろと腰を上げた片眼鏡の前に、先ほどの声の主が立っていた。大柄なその男の顔に見覚えがある。忘れるわけがない。
 緞帳の中で囁かれる睦言を聞いたときになぜ思い出さなかったのだろう。
 まだ安定しない足元に注意し、ジュリアンは立ち上がった。
 すらりとした長身、洗練された佇まい。鳶色の瞳と長髪。
「フレデリック……」
「よう。久し振りだな」
 フレデリック・ウィーズリーとの再会だった。
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ひじりさん


ひじりさん、こんにちは。
たいへん丁寧な感想を送っていただき、ありがとうございます。
わたくし、コメント欄へ投稿するのがあまりに久し振りで、使い方を忘れてしまいました(汗)。

かなり長いことお姿を見かけなかったので、少し心配でもあったのですが、やはり体調を崩されいたのですね。
更年期症状はなかなかつらいらしく……。メンタルをやられると堪えますね。
ひじりさんはお仕事もかなり忙しいようなので、じっくり静養するお時間もあまり取れなかったのではないでしょうか。
様々なことが押し寄せて来る年齢ですので、向き合い方も考る必要がありそうです。

そんなお忙しい中を縫って、拙作をお読みいただいたとのこと、恐縮でございます……。
三章に入った頃からわたしの創作熱も一段落しまして、更新頻度もかなり落ちました。
そしてその頃からスランプにも入りまして……。まったく書けない時期と猛烈に気分が乗る時期が交代でやってきます。
ただし、登場人物の動かし方がようやくわかってきた頃でもあります。
四章のタイトル「朱夏」は、成長し、やがて円熟して行く主人公二人の関係を願って付けました。
いつだかTwitterでちらっと言ったのですが、一本の樹を物語を創る上でのイメージにしています。
幹は二人の恋と愛で、成長していく。どんどん伸びる。
他の登場人物、いわば脇を固める人々は四方に張り出す枝葉。主軸ではないエピソードも同じく。
枝葉もどんどん繁り、広がって寂しかった一本の樹を賑やかにしてくれました。
今後も成長し、どこまでも広がっていく可能性大です(笑)。
この収拾をどうつけるか、それに悩むkともありますが、不思議とやめようとは思わないんですよね。
潮時かなと考えてもまた戻ってきちゃう。たった一つの表現方法ですから。

相関図に使用したアイコンは、数人の読者さんにご協力いただきました。
ハリーとチャーリーは「描かせてください」とお申し出いただいたんです。
続けていてよかったと、心の底から思いました。
実はわたくし、その昔……昔ではなくごく最近までロマンス小説も映画も大嫌いでした。
愛だの恋だの甘ったれたこと言ってるんじゃないわよ、なんて言っちゃうまったく可愛げのないオバサンでしたの、おほほ(可愛げのないオバサンは今も同じだ)。
それがどうしてこんなものを書いているのでしょうね。我ながら謎だ。
この路線で行こうと決めたのは、確か「幕間」の頃だったような?
それまでは迷ってばっかりいたんです。もしかしたらこの迷いが登場人物にも表れていたかもしれません。
わたしが「これで行くか」と決めたことが、アルフとジュリアンの成長に影響しているのかも。
うへへ、こういうこと真面目に語るのはちょっと恥ずかしいです。

わたしの病は完治したわけではありませんが、幸いにも良いお医者さまに悪いところを取っていただけました。
あとは予後をどう過ごすかにかかっているのでしょう。
高度な医療を受けられる日本の制度にも感謝しています。
そして、ひじりさんからいただいたDMはとても嬉しかったです。同じ病気と闘い、勝った方からの言葉ですもの!
これほど力強いメッセージはありません。改めまして、ありがとうございます。
まだ完全に吹っ切れたわけではありませんが、だいぶ落ち着きました。
今はただ、楽しくのんびり過ごすことだけ考えております。
そろそろ仕事をしなきゃならないんですけどね(笑)。

では、Twitterなどでまたお会いしましょう。
この度はありがとうございました。
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